「恋人」「彼」「彼女」
「夫」「妻」・・ではなくて
「パートナー」
というライトなカタカナ言葉。
この言葉には、
今までの概念や枠に囚われない
「新しい形の関係性」を作っていく、
という時代の意思を感じます。
ここで書くことは、
私がただ思っていることにすぎません。
興味のない人はスルーしてくださいね。
そもそも
誰かと「付き合う」とか
誰かと「結婚する」とか
必ずしも、全ての人がするべき
'義務'のようなものだとは思っていません。
社会生活を営む上でなんとなく
「そうしないといけない」
と、思わされていますが・・
ひと昔前と違って、
個人の自由意志が尊重される時代です。(一応)
お付き合いも結婚も妊娠・子育ても
義務教育じゃないんだから
年齢に沿ってしてないとおかしい、
なんてことはないんですよね。
実際、もう、なんでもそうです。
「しないといけないこと」なんて、本当はない。
生きていくリズムや好きなこと、人生でやることなんて、みんなちがうし。
その上でお話ししますね。
「パートナーシップ」という
新しい関係性を示すような枠が出てきたのは、
常識と思われているような
「お付き合い」の概念や
「結婚」という法的な契約の概念が
近い将来破綻するからかな、と感じています。
新しいスペースが必要、というか。
今までの概念ではない、
あたらしい感覚の「人間関係」が
確かにたくさん生まれているんですよね。
それらは、今までの古い概念が染み込んだ
お付き合い、や、結婚、という服が似合わないのです。
この流れはこの数年で
すごく加速している気がしています。
「事実婚」は今まで以上に当たり前になるでしょうし、
ポリアモニー(複数人を愛する関係)や、
ポリガミー(複婚)だってすでに存在していることですし、
同性同士の関係性だって今まで以上に市民権を得ていくでしょう。
表面的な「カタチ」よりも
精神的な「ナカミ」の充足感や成長が
どんどん大事にされていきます。
社会にすでに用意された枠にはまらなくても
「自分たちのやり方や気持ち」を元に
関係を育んでいく、というような感じですね。
そんな自立したパートナーシップを育んでいる人たちは
制度の外にいても内にいても、幸せだなと思います。
パートナーと呼べる人が居なくて
焦りやネガティブな感情を
抱く人もいるかもしれませんね。
でも、このような社会になっていくと、
パートナーと呼べる人がいなくても
あまり気にならなくなるだろうし
そんなオープンな社会であれば、
そのときの成長に必要な気の合うパートナーと
今よりずっと簡単に出会える気がしますよ。
たとえ、何歳だとしても。
とはいえ「結婚」という制度は
当分なくならないでしょう。
制度が存在する限り、したければすればいい。
やめたければやめればいい。
それくらいシンプルなものだと思っています。
(「結婚」は相続やオーナーシップの管理のため、社会生活の便宜上で生まれた法的な制度です。契約です。本来あまりロマンティックではないのですよね 笑)
その結婚の形も、これからもっと自由になっていくだろうな。
一緒に住んでも住まなくてもいいし、
性愛があってもなくてもいいし、
子供がいてもいなくてもいいし、
ずっと一緒に居てもいいけど
お互い必要な成長が終わったら
関係を解消してもいいし。
結婚の制度は存在しても
人間の意識や在り方の枠が広がっていくことは
止められないでしょう。
結婚するしない、どちらかがいいと言っているのではないですよ。
今までのトラディショナルな
関係性がたまたまハマる人もいれば
それとは違う関係性も表に
もっと出てくるよ、ということです。
いま、自分たちの幸せを尊重して
自立した関係性の道を選んでいる人たちは
これからの時代のパイオニアなんだなぁ、と思います。
いろんな人生、いろんな形のパートナーシップや家族があってよい。
「古い当たり前」を握りしめて何か言ってくる人は
自分たちが理解できない存在や、
自分の中のあやふやな正解が脅かされること、
自分では勇気がなくてできないことが、
怖いだけかもしれませんよ。
自分の真実と幸せを、真ん中に置いて生きていこう。
井出順子
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